”一人暮らし=おしゃれ” という幻想
…ピピピピッピピピッ…←目覚まし時計の音
「うーん、朝かぁ…」
「早くしないと1限目に遅れちゃうよ」
「あーーーでも、もうひと眠り…」
「ダメダメ!早く起きないと!」
90年代前半の高校生のころ、いわゆる月9を見て育った私はそんな大学での一人暮らしの朝を想像していた。
眠い目をこすりながら起きて、カーテンをバッと開けて朝日をからだじゅうで浴び、コーヒーをドリップして、ベランダの手すりにもたれながらブラックコーヒーを飲む感じ。
わかる人は少なくなってしまったかと思うが、東京ラブストーリーの江口洋介と有森也実の朝の様子みたいな感じ。
…当たり前だけれど現実は違っていた。
一人暮らしの現実は「朝の洗濯」だった。
ゴーッ…ゴーッ…と回る二槽式洗濯機の泡を眺め、洗濯物を干し、ご飯は焼かない食パンか炊飯器の残りの白飯とふりかけ。
そこに「早く起きて!」なんて語り掛けてくれる恋人の姿はなかった。
洗濯をして、ご飯を食べて、大学に行く。
帰って寝て起きての繰り返し…洗濯を頑張った4年間だった。
…そして数年後、無事に大学を卒業し、無事に就職した私は新天地へと引っ越すことになった。
生まれて初めてのフローリング。ちょっと狭いものの必要なものがすべてそろった自分だけの城。そして窓の外に見えるのは見渡す限りの畑であった。
東京ラブストーリーのような生活は幻であることは知っていた。
大学の4年間で気が付かされた。私は単に世間知らずだったのだ。
ドラマのようなことはない。おしゃれな生活などこの世に存在しない。
その春、最初の洗礼は国際電話の請求書の誤解を解くことだった。前の利用者がイスラエルに電話をしていた(多分ダイヤルQ2というサービス)らしい。社会人はグローバルだなと思った。
…その夏の朝、出勤しようとしたら玄関を開けたところにセミの死体があった。
田舎にはよくあることだけれど、別の日にはカブトムシの死体があった。
…その秋の夜、深夜に呼び鈴が何度も鳴った。そして扉をドンドン叩きながら大声で泣き叫ぶ女性の姿があった。私の知らない名前を何度も叫んでいた。
トラブルの多い社会人1年目の住まいだった。
次の春には転勤でその地を離れた。
今度はもっとド田舎。電車もない、バスもない、そんな田舎。
格安の木造平屋一戸建てを借りて住んだ。内装は質素でログハウスのようだった。トイレに換気扇がついていないことを除けばおしゃれな田舎生活に見えた。
…部屋の中で蟻の行進を何度も見た。シロアリの巣立ちも見た。布団の中でムカデも見た。
田舎の木造一戸建ては借りてはいけないと思った。
転職して、ちょっと都会のちょっとおしゃれなちょっと広いワンルームに引っ越した。
そのころに結婚してちょっと広いワンルームで二人暮らしを二年ほどしていた。
ちょっとしたボタンの掛け違いで離婚し、一人暮らしを再開してしばらくした朝、玄関先の傘立てに包丁が置いてあってびっくりした。
今もその包丁は記念に飾ってある。
おしゃれな生活に玄関横の包丁は似合わない。
その後、今の住まいに越してきた。
わりと都会のわりと広い2DK。
現在もなお一人暮らし。
あるのは現実と現実と現実…。
この #私の一人暮らし のキャンペーンを見てふと書いてみたくなった。
これまでの一人暮らし歴。
最後に折角だからドラマの中のおしゃれな生活の真似をしてみた。
朝起きてコーヒーでも淹れてベランダから外を眺めるかな、とカーテンを開けたら雪が左から右に吹っ飛んでいた。…春なのに。
やっぱりおしゃれな生活などこの世には存在しない。
おしゃれな生活はドラマの中でだけらしい。